女優で歌手の篠原涼子さんは、どんな子供時代を過ごしていたのでしょうか。
父子家庭で育ち、大好きな父親は結婚式の3日後に亡くなってしまったそうです。
今回は篠原涼子さんの生い立ちや、芸能界に入るまでのエピソードについて調べてみました。
篠原涼子の生い立ちは?
篠原涼子さんは群馬県桐生市出身の1973年8月13日生まれです。
兄弟は、6歳年上の兄と3歳年上の姉がいて、篠原さんは末っ子だそうです。
母親は篠原さんが2歳の時に交通事故のため他界。
父親に大切に育てられたそうです。
父親の篠原勝雄さんは再婚せず、男手ひとつで3人の子供を育て上げました。
篠原さんの得意料理は、父親から伝授されたものだそう。
ゼッケンを取り付けたりといった裁縫も、父親ががんばってやってくれたそうです。
篠原涼子の父親は結婚に反対!
2005年に篠原さんは、25歳年上の市村正親さんと結婚。
勝雄さんは結婚には大反対でしたが、最終的には許可したそうです。
結婚から5年後に、実家近くの群馬県太田市の結婚式場で結婚式を挙げ、
その3日後に、父親は肝臓疾患のため、71歳で他界しています。
「父は男手ひとつで私達兄弟を育ててくれて、男らしく笑顔をたやさず人を喜ばせることが大好きで誰からも愛される人でした。私にとって父は1番のファンであり、よき理解者でもありました」
と篠原涼子さんはコメントしています。
篠原涼子の父親エピソード3選!
父親はとても可愛がってくれて、篠原さんの一番の理解者だったといいます。
デビューまでのサポートも父親が献身的にサポートしてくれたそうです。
篠原涼子の父親エピソード①
篠原さんが中学生になったころ、歌手に憧れてオーディションを受け始めると、
オーディションに着ていく服は、毎回必ずチェックしてくれたそうです。
脚に切り傷ができたときは、「傷が残ったら芸能界にはいったときに、変な脚だっていわれちゃうから」といって、
毎晩クリームを塗ってくれたといいます。
履歴書も一緒に書いてくれて、写真はどれが一番かわいく写っているか選んでくれたそうです。
篠原涼子の父親エピソード②
小室哲哉さんプロデュースのシングル「恋しさと せつなさと 心強さと」が大ヒットした時には、優しかった父は急に厳しくなったそう。
「いい気になるなよ。今あるのはスタッフのおかげ。感謝しなくちゃ」といつも言ってくれたそうです。
それも父親の優しさだったのでしょう。良いお父さんですね。
篠原涼子の父親エピソード③
父親はパチンコ好きで、パチンコ店で大ヒットした篠原涼子さんの曲が何度もかかると、
嬉しくて店中のお客さんにジュースをご馳走したこともあったそうです。
娘の活躍が嬉しかったようですね。
まとめ
今回は篠原涼子さんの生い立ちと、父親のエピソードについてお伝えしました。
母親の記憶がない篠原涼子さんですが、父子家庭で大切に育てられたようですね。