モデルで女優の高橋ユウさんは、高橋メアリージュンさんの妹さんです。
お二人は裕福な家庭で育っていたのに、ある時から極貧生活を送っていたそうです。
そんな高橋家には太陽のような母親がいて、貧乏を感じさせない数々の素敵な演出をしてくれたそう。
今回は高橋家の貧乏エピソードや、お二人を成功へと導いてくれた母親の子育てについてお伝えします。
高橋メアリージュン&ユウの家族構成は?
高橋ユウさんとメアリージュンさんは滋賀県出身で、二人ともモデルや女優をしています。
父親は日本人で、以前は牛乳配達会社の社長でした。
母親はフィリピン人で、長女として日本へ出稼ぎに来て、祇園でシンガーをしていたそう。
祇園で両親は出会い、その後結婚し、現在でもラブラブ夫婦だそうです。
家族全員高身長で、父親の身長が185cm、母親が166cm、高橋メアリージュンさんが170cm、高橋ユウさんが176cm、長男が182cm、4番目の弟が187cm とのこと。
長男が絵画アーティストの高橋源治さんで、末っ子がプロサッカー選手の高橋祐治さんです。
皆さん身長が高いだけでなく、美男美女ですね!
裕福な家庭から極貧へ
高橋家はとても裕福な家庭で、立派な家に住み、毎年ディズニーランドや海外旅行に家族で出かけていたそう。
ユウさんが小学4年生、メアリージュンさんが中学1年生の時、家族で琵琶湖に行った際に父親が皆を集めて「父親の会社が倒産したこと」を告げたそうです。
「実は、お父さんの会社が倒産してしまって。今までのようにはいかんくなるけど、みんな頑張ってくれるか?って言って。いつも笑顔な両親がすごく神妙な面持ちだったので、これはかなり今ヤバイことになっているんだなと思って。子どもながらに、あっ、もうこれは私たちが家族を守っていかなって」と”覚悟を決めた日”のことを語りました。
引用元:https://news.livedoor.com/article/detail/19318771/
メアリージュンさんは子供ながらに、「私たちが覚悟を決めていかなきゃ」と思ったそうです。
ただ、ポジティブだった両親のおかげで貧乏を感じさせない楽しい生活を送っていたとのこと。
そのため貧乏で苦しかったことは?と言われてもあまり思い浮かばないそうなのです。
極貧エピソード①:クリスマスの料理はインスタントラーメン
クリスマスもチキンの丸焼きで好きなように食べていていたのに、貧乏になってからはインスタントのワンタンメンに卵がのったものに変わったそう。
そんな時でも、皆で「いつもと違う~、ラーメンイエーイ、卵のってるおいしそう!」と盛り上がっていたそう。
極貧エピソード②:マトリョーシカのように小さくなる家
借金を返すために、豪邸からどんどん小さな家に引越しを繰り返したそう。
それはまるでマトリョーシカのようだった、と二人は振り返っています。
新しい家に引っ越すたびに、両親が子供たちに目隠しさせて「ちょっと皆目つぶって~、目開けたらあかんで~、目開けたらあかんで~、ここが新しい家やで~」と言ってから目を開けさせ、その度に皆が「わ~~!」と言って楽しんだそう。
両親が引越しをいつも楽しませてくれたことで、「引越しって楽しい!」という印象を植え付けてくれたそうです。
極貧エピソード③:消しゴムやアリを食べた子供時代
当時高橋ユウさんは、オレンジ色の消しゴムのカスや、公園のアリを食べたこともあったそうです。
消しゴムを削ったら鮭フレークに見えたそうで、食べると本当に鮭フレークの味がしたので授業中にしょっちゅう食べていたそう。
アリはお尻の丸い部分が甘くておいしかったそうです。
母親はポジティブで強い人!
すごく明かるくて強い母親は、口癖が「何とかなる!」だそうです。
貧乏になって周りのママ友たちに「高橋さんとこ、お家引っ越したりして大変だね」と言われた時も、
「皆誰しも、大変な時は必ずくるから、私がそのタイミングが早かっただけで、お先に!」と言ったそう。
ご飯は焼き肉のタレをかけただけで、肉はなかったそうですが、「モデルになったら体型を維持しなくてはいけない。お肉を我慢する練習をしましょ!」と言って楽しませてくれたとのこと。
また高橋メアリージュンさんには、「どんなつらいことがあっても、これは全部ストーリーでエピソードになるから、お姉ちゃんは将来、笑ってインタビューで答えているから」って言ってくれていたそう。
それが今まさに現実となって、インタビューなどで答えているからすごいですね!
こんな賢くて明るい母親だからこそ、貧乏でもつらい思い出がなく楽しく暮らしたそうです。
高橋メアリージュン&ユウの芸能界デビューエピソード
TakahaSisters ー アメブロを更新しました#高橋メアリージュン#ユウちゃんhttps://t.co/r8kTC6rcC2 pic.twitter.com/YkHlIDNYVV
— Maryjun_Takahashi (@Mjtaka1108) August 4, 2020
メアリージュンさんは中学3年生の時には、家計を支えるために働きたかったそう。
滋賀県のデパートにある本屋に行っては、「オーディション」という雑誌を見ていたそう。
ある時、大好きな安室奈美恵さんやスピードさんが所属する事務所が「横浜・湘南オーディション」を開催することを知り、メアリージュンさんが自分でエントリーしたところ、書類審査を通過したそうです。
しかし、次の審査は横浜で行われるので、自分でお金を払って来てください、と言われ、「あ~新幹線代なんてないな~。新幹線代かかるしやめとくわ~」と親に言ってあきらめたそう。
そして部屋に戻ると、父親がメアリージュンさんの部屋に来て「お姉ちゃん。いつ、何が、どんなきっかけで、どんなチャンスが奇跡を起こすかわからんから、確かに新幹線は難しいけど、車でよかったらお父さん送っていくで」と言ってくれたそうです。
この時メアリージュンさんは「何が何でも受かろう!」と思ったそう。
親の同行も必要だったため、母親が「家族旅行や~」と言って皆で行くことになったとのこと。
父の弟さんに大きな車を借りて、滋賀から400㎞以上、高速道路を使わず下道で横浜まで行ったそうです。
そのオーディションで、見事グランプリを獲得し、メアリージュンさんは芸能界デビューしました。
そして単身東京へ出てきて、事務所の寮に先輩たちと一緒に暮らしたそう。
一方でユウさんは、1年遅れぐらいで別のオーディションを受け、芸能界デビューしたそうです。
その時オーディションに着ていけるような良い服がなかったため、母親のステージ衣装を借り、母親にメイクをしてもらって大人っぽく変身。
他の子たちよりも目立つことに成功し、見事合格できたそうです。
家族の借金は兄弟で返している!
家族の借金は兄弟で力を合わせて返しているそうです。
高橋メアリージュンさんは給料を全額そのまま事務所から実家に振り込んでもらうようにし、そこからお小遣いとして親から生活費をもらっていたそう。
寮生活のため光熱費はかからず、最初は月1万円のお小遣いで、食費と交通費をまかなったそうです。
1日アンパン1個を3等分して暮らすという生活を続け、たまにアロエヨーグルトを食べたくなる時もあったそうですが、家族のことを考え我慢したとのこと。
そしてアンパンを買ったポイントをコンビニで使って、たまにヨーグルトをゲットしていたそうです。
ユウさんも、遊びに行きたい気持ちがたまにあったそうですが、両親の顔が浮かんで「楽をさせてあげたい」という気持ちの方が勝ったそう。
苦しい生活を乗り越え、モデルという夢をつかんだユウさんは、「貧しくても夢は叶う」という思いを子供たちに伝えたくて、ボランティア活動もしています。
貧困の子どもたちを支援する「子ども食堂」を訪問し、満足な食事ができない子供たちに手料理を作って一緒にご飯を食べたりしているようです。
ユウさんは、貧乏だったけれど、夢は無理だと思ったことはないそう。
「むしろ貧乏だったという事実があったから、より夢に向かって、どうやったら夢を叶えられるかっていう風に考えましたし、貧乏は必要な経験だったと思う」と語っています。
最近では二人とも、親への仕送りは続けているものの、やっと自分でお金の管理を出来るようになったそうです。
親へは「愛というものを教えてくれてありがとう。」「私たちを皆スペシャルだと思って育ててくれてありがとう。」という気持ちをもっているそうです。
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まとめ
今回は高橋メアリージュンさんと高橋ユウさんの貧しかった子供時代のエピソードや、明るい太陽のような母親や家族についてお伝えしました。
メアリージュンが東京に出てきた時、アンパン1日1個で暮らし、最近まで稼いだお金を全額家に入れていたというのには驚きでした。
愛のあふれる素敵なご両親で、家族皆で力を合わせ、苦労を乗り越えてきたようですね。