瀧川鯉斗が暴走族に入ったきっかけは?辞めて落語家になった理由は母親!

イケメン落語家としてたびたびテレビにも登場する瀧川鯉斗さん。

2021年1月9日(土)の「ウラマヨ!」に出演し、自身が暴走族だった頃の話や母親とのエピソードについて語っていました。

今回は、瀧川鯉斗さんが暴走族を入ったきっかけや辞めた理由、そして暴走族時代の母親との面白エピソードについてお伝えします!

瀧川鯉斗が暴走族に入ったきっかけは?

落語家の瀧川鯉斗さんは10代の頃、名古屋で暴走族の総長をしていました。

瀧川鯉斗さんは東京都で生まれ、ごく普通の家庭で育ったそうです。

親の転勤により、小学校3年生の時に愛知県名古屋市に引越しています。

スポーツが得意な活発な男の子で、中学ではサッカー部に所属。

ゴールキーパーだけユニフォームが違うことに憧れて、「かっこいい!」という理由からゴールキーパーとなり、愛知県代表になるほどの実力だったそうです。

それと同時に、ヤンチャな友達とも付き合うようになり、ヤンチャな先輩たちがかっこよく見えたことから、その世界の方が楽しくなってしまったそう。

サッカーがうまかったのですが、髪が長髪で金髪、バイクを乗り回していたという素行の悪さのため、高校はサッカー推薦で行けなかったようです。

13歳から暴走族に入り、無免でグルグル校庭を回っていたそうです。

ただ「将来はプロサッカー選手」とまで考えていたのに、推薦で高校へ入れなかったことで全て崩れ落ち、初めての挫折を味わってしまったと語っています。

母親に泣きつかれて高校には入ったそうですが、上級生と喧嘩してしまい一日で退学

その後は暴走に力を入れるようになり、「天白スペクター」という暴走族に入ったそうです。

そして1年後には飛び級という形で抜擢され、12代目総長に就任しました。

瀧川鯉斗

総長に就任されたのは、15歳の頃だったそうです。

瀧川鯉斗さんがその頃の自分に言いたいことは「真面目にサッカーしろ!」だそうです。

楽しいと思う方に惹かれてしまう性格が災いし、サッカー少年から暴走族になってしまったことは、今でも後悔しているようです。

瀧川鯉斗の暴走族時代の母親との面白エピソード3つ!

瀧川鯉斗さんはの母親は、いつも息子を心配していたそうです。

瀧川鯉斗さんと母親のエピソード①

母親も息子を心配していたのですが、瀧川鯉斗さん自身も、母親には心配かけたくない、と心のどこかで思っていたそうです。

そのため、ヤンチャな友達とたむろしている時に母親が迎えにくると、心配かけてはいけないと思い、早めに家に帰ったそう。

友達の前では「母親うぜー」とツっぱっていたそうですが、実際お母さんには弱かったそうです。

瀧川鯉斗さんと母親のエピソード②

瀧川鯉斗の母親

瀧川鯉斗さんの母親は、特攻服をたびたび洗濯して畳んでくれていたそう。

母親にとっては息子の着るもの、ということで大切にしていたようですね。

また、そんな母心を瀧川鯉斗さんも受け取ってか、「母親は悲しませてはいけない」、という気持ちが心の中にあったそうです。

瀧川鯉斗さんと母親のエピソード③

あるとき集合場所で暴走に行く道中に自宅の前を通ってしまったところ、母親が車で追いかけてきたそう。

ほかの車やバイクを蹴散らして、瀧川鯉斗さんに近づき、窓越しに「早く帰っていらっしゃい」と言ったそうです。

母親を撒こうとスピードをあげたところ、母親もスピードを上げてついてきたそう。

そして追いかけてきたパトカーに「おいそこの一番調子こいてるクソババア止まれ~」と言われて母親はつかまりそうになってしまったのだとか。

息子を思うあまりに追いかけて、逆につかまりそうになってしまうなんてかわいそうですが、今とは笑い話になっているようです。

瀧川鯉斗が暴走族を辞めて落語家になった理由は?

瀧川鯉斗

瀧川鯉斗さんは18歳で落語の世界に入り、最近ではバラエティ番組やモデルとしても活躍されています。

喧嘩や悪さに明け暮れていた18歳の頃、このままではダメだと思い、総長の座を他の人に任せて役者になるために東京に出てきました。

ふと「このままだと母親を悲しませるだけだ」と感じて、すぐ引退を決意したそうです。

食べていくために、人生初のアルバイトをすることになり、新宿の「赤レンガ」というレストランでックのバイトしていました。

バイト先は、200人位入れる大きなレストランでステージもあり、毎日プロのミュージシャンの方が来て演奏していたそうです。

そこで年に2回、瀧川鯉昇さん(瀧川鯉斗さんの師匠)の落語会をしていたそう。

初めて落語を見た瀧川鯉斗さんは、ひとりが何役も表現する姿に衝撃を受けてしまったそうです。

その時「これだ!」と思い、打ち上げの際に「弟子にしてください!」と言いに行ったところ、

師匠から「まず寄席に行ってこい」と言われ、瀧川鯉斗さんは素直に2か月間、新宿の寄席に通いました。

気持ちの揺るぎがなかった瀧川鯉斗さんは、その後弟子にしてもらって18歳の時に落語の世界に入りました。

瀧川鯉斗さん曰く、修行はキツイと思ったことがないそう。

その理由が「殴られることはないから。」とのこと。

そして2019年の35歳の時に落語界の最高位である「真打」に昇格しました。

まとめ

今回は、イケメン落語家と言われている瀧川鯉斗さんの暴走族に入ったきっかけや、落語界に入ったきっかけ、そして母親とのエピソードについてお伝えしました。

子供の頃から行動力があって、こわいもの知らずで楽しい事に惹かれてしまう、という瀧川鯉斗さん。

ヤンチャな時代でも、いつも母親のことを思って行動していたようですね。

母親のことを悲しませたくない思いで一念発起し、現在では落語界の最高位「真打」にまで昇格しました。

瀧川鯉斗さんの今後の活躍にも注目していきたいですね!