いつも明るいモデルでタレントのローラさん。
最近はロサンゼルスに移住し、おしゃれで健康的な私生活も公開しています。
また、インスタのフォロワー数の多さでは常に上位に入っているほど注目も集めています。
ハッピーで悩みがなさそうなイメージですが、生い立ちが複雑で、幼少期にとても苦労したようです。
今回は「ローラが幼少期に苦労した理由とは?継母が中国人で生い立ちが複雑だった!」といった内容でお伝えします!
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ローラが幼少期に苦労した理由とは?継母が中国人で生い立ちが複雑だった!
ローラさんは父親がバングラデシュ人で、実の母親は日本とロシア人のクウォーターだそうです。
1990年3月に埼玉県狭山市で生まれ、その後すぐにバングラデシュへ移住。
あまり裕福ではなく、バングラデシュではジャングルのような所に住んでいたそうです。
両親はローラさんが1歳の時に離婚し、ローラさんと双子のお兄さんは父親に育てられています。
ローラさんはバングラデシュではアメリカンスクールに通っていましたが、小学校の時に日本へ帰国、その後またすぐにバングラデシュヘ移住。
9歳の時にまた日本へ戻ってきて、それ以降は日本に定住しています。
父親は中国人の女性と再婚し、双子の弟と妹が生まれました。
父親、ローラさんと双子の兄、中国人の継母とその間に生まれた双子の弟妹、そして継母の両親も同居の8人家族。
家族は貧しく、1999年頃は国立の木造アパートに8人で住んでいたこともあるそうです。
その後、継母の両親以外の6人で多摩市の都営団地に引越しています。
貿易関係の仕事をしていた父親はあまり家には居らず、中国語しか話せない継母とのコミュニケーションも難しかったそうです。
「文化も全然違うし、新しいお母さんが来たけど、中国の人だから中国語しかしゃべれない。家の中がわけがわからなくて…」
引用元:https://mdpr.jp/news/detail/1663981
継母は生まれた双子の弟妹の面倒を見るため、あまりローラさんはかまってもらえず寂しい思いをしたようです。
また、ローラさんにとても厳しかったそうです。
当時ローラさんはベンガル語しか分からず、学校でも日本語が全然喋れなかったそう。
そのため身振り手振りでコミュニケーションをとっていたので、今でもそのクセが残っているようです。
中学3年生の頃にやっと、日本語が普通に会話できるようになったそう。
「中学2年の時に、友達にすごく一生懸命説明したのに『ちょっと何を言ってるのか分からなかった』って言われたのがすごくショックで、そこからかなり頑張って中3の頃には普通に会話も出来てたと思う」
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_1866/
ローラさんは「小さい頃の悔しい思いが強いパワーになる」と語っています。
「小さい時の悔しい思いが『超えてやるぞ!』って強いパワーになってる。そういう経験があるから今の自分がいる」
引用元:https://mdpr.jp/news/detail/1663981
「自分が経験してきたから夢を持つ人を少しでも助けられたら」という思もあり、恵まれない自分が将来学校を作って子供たちに教えたい、という願望があるそうです。
子供の頃は母親に甘えられず寂しい思いをしましたが、双子の兄と支え合って生きてきたそう。
いつも明るいローラさんが、大変な幼少期を送ってきたとは驚きです。
継母が中国しか話さず、ローラさんはベンガル語しか分からない中、厳しく育てられたという複雑な環境で苦労したようですね。
今では継母とメールしたり、弟や妹ともとても仲が良く、兄弟皆で旅行やキャンプもしている仲良し家族のようです。
【画像】ローラの双子の兄がイケメン!双子の弟妹もいて4人兄弟だった!
ローラはホームセンターでバイトしていた!
父親の度重なる事業の失敗で、一家は経済的に厳しかったそう。
両親が共働きだったのか、ローラさんは弟や妹のオムツを替えたりご飯を食べさせてあげたり、面倒を積極的に行っていたそうです。
料理が得意なことでも有名なローラさんですが、子供の頃から家事をこなしてきたからなのかもしれません。
当時のローラさんを知る人は「弟たちの面倒もみて、挨拶もきちんとする本当に良い子だった」と語っています。
高校生になったローラさんは、地元のホームセンターでアルバイトをして家計を支えていました。
「高校生になって、家のことも支えなきゃと思ってアルバイトを始めたんだけど、それはひとつの転機だった気がする。人と接することがさらに好きになったの。老若男女、いろんな人がお店に来て、そういう人たちとかかわれることが楽しくて、そこから一気に大人になっていったのかな~って」
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_1866/
ローラさんは高校の時に渋谷でスカウトされ、モデルの仕事を始めています。
最初は同じポーズばかりだと言われて、悔しくて泣いたこともあったそう。
中途半端な気持ちでは務まらないことを悟り、モデルの仕事を本気でやることを決断しました。
「お父さんを幸せにしてあげたいから!」という気持ちが強く、少ないギャラのほとんどを父親に渡していたそうです。
父親はあまり家にいなかったようですが、ローラさんにとても優しかったそう。
そんなローラさんの父親は、2014年に国民健康保険の海外療養費の不正受給をしたとして、詐欺容疑で逮捕されるという事件がありました。
ローラさんは、
「この度はお騒がせしてしまい本当に申し訳ありません。父の事は私が責任を持って弁償させて頂きたいと思います」
引用元:https://mdpr.jp/news/detail/1440791
とコメントしてます。
また、弟や妹のことを自分の子供のような感覚で接してしまうそうで、妹の留学費用を出したり、経済的なサポートも行っているようです。
現在ロサンゼルスに住んで、優雅な生活をしているイメージのローラさんですが、幼少期の頃はとても苦労してきたようですね。
2018年にはUNICEFに1,000万円を寄付するなど、今は子供たちや動物たちを幸せにする、といった活動にも力を入れているようです。
まとめ
今回は「ローラが幼少期に苦労した理由とは?継母が中国人で生い立ちが複雑だった!」といった内容でお伝えしました。
いつも明るく、おしゃれで健康的な生活を送っている、といったイメージのローラさん。
実は恵まれない生い立ちがあり、家族を支えるために学生の頃から仕事をしていたようですね。
今ではそんな子供の頃のことも受け入れて、全てに感謝しているそうです。
ローラさんの今後の活躍にも注目していきたいと思います!