体操の日本代表であり、世界のトップに君臨する内村航平選手。
意外にも本格的に体操を始めたのは高校からだったそうです。
どんな高校時代だったのでしょうか?
今回は「内村航平は高校時代に上京?親を説得して東京で一人暮らし!」といった内容でお伝えします!
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内村航平は中学卒業後に一人で上京?
内村航平選手は実家が体操教室のため、3歳の頃から体操をしていたそうです。
子供のころから厳しい英才教育を受けてきたイメージがありますが、本格的に体操を始めたのは高校からだったそう。
小さい頃出場した大会では、最下位だったこともあったそうです。
中学時代まではただただ楽しくやっていて、中学3年で出場した全国中学校体操競技選手権大会では42位。
出場できたことが嬉しくて、悔しさは全くなかったと言います。
4種目通し(ゆか・あん馬・跳馬・鉄棒)の練習はやったこともなく、試合はいつもぶっつけ本番だったそう。
ところが全国大会で同年代のトップ選手のレベルに衝撃を受けたことで「追いついてみたい」という気持ちが芽生えました。
このことが内村選手の転機となったようです。
「このまま自宅の体育館で練習していても、強くなれないんじゃないか」と思った内村選手は、
当時のトップ選手であった塚原直也さんがいる東京の体操クラブに入りたい、と思うように。
中学卒業したら東京に行きたい旨を親に伝えると、「一人暮らしなんて無理だろ、しかも東京でなんて」と親にはかなり反対されたそうです。
その後半年間も親を説得し、最終的には認めてもらうことになったそう。
長崎から上京し、東京の高校に入学しました。
内村航平の高校はどこ?
内村選手は長崎県から上京し、東洋高等学校(偏差値61 – 67)に入学。
男子バレー部が有名な学校です。
内村選手は高校の部活には所属せず、世田谷区にある「朝日生命体操クラブ」へ通っていました。
住んだのは世田谷区で、体操クラブの近くだったそう。
そこから高校のある水道橋まで満員電車に乗って通ったため、「わーっ!」って叫びたくなるくらい嫌だったそうです。
何もかもが驚きでした。いや、驚きを超えて、最初は意味が分からなかったです。原宿や渋谷には人が毎日あふれていて、常にお祭りをやっているのかと思いました。
引用元:https://suumo.jp/town/entry/mirai-uchimura-kohei/
体操クラブでは、一から鍛えられたといいます。
他の選手よりスタートは遅く、最初は基本ばかりのきつい練習でつらかったそう。
つり輪などの力技は、高校へ入って初めてまともな練習をしたそうです。
「通しの練習も高校へ入って初めてやったくらいで、そこから本当に一から鍛えられたという感じですね。柔軟性もなかったから、そういうのも全部。泣きはしなかったけど、きつかったですね。でも、自分で決めた道だから、やるからにはちゃんとやろうと思った。最初のうちは補強とか基本ばかりで面白くなかったけど、高校2年生くらいから結果が出てきたんで」
引用元:https://www.joc.or.jp/column/athleteinterview/athmsg/20080730_uchimura_02.html
人一倍努力をし、高校2年生の時に全日本ジュニア体操競技選手権大会で個人総合3位に。
同じく高校2年生で、全国高校体操競技選抜大会で個人総合1位になり、徐々に自信が出てきたそうです。
高校3年生の時には高校総体で個人総合2位、全日本ジュニアは個人総合1位。
優勝したことで、シニアのナショナルチームに選ばれました。
一般的に体操は小学校の頃から頭角を現わすことが多く、初めて注目されたのが高校生というのはあまり前例がないそうです。
ジュニアの国際大会で優勝したことがあったそうですが、実はまったくの無名選手だった、と池谷幸雄さん(元体操選手)は振り返ります。
池谷さんは、こんなに短期間で結果を出せたのは、子供の頃から体操をやっていて人一倍鍛えられていたため、と分析しています。
彼は体幹であったり、筋力、柔軟性などの基礎の部分を人一倍鍛えていたのでしょう。その蓄積された基礎が土台となり、高校になって元々持ち合わせていた才能が一気に花開いたのだと思います。
引用元:https://www.news-postseven.com/archives/20190425_1358784.html?DETAIL
その後、大学は日本体育大学体育学部体育学科に入学。
大学では体操競技部に所属し、2007年ユニバーシアード団体優勝とともに種目別ゆかで優勝、1 年生ながら学生日本一のタイトルを獲得。
翌年の北京五輪では団体銀メダルに貢献。
さらに個人総合決勝では銀メダルを獲得。
日体大に進んでからは、さらに命懸けで体操に臨むようになり、他は全て捨てて没頭するようになりました。
と内村選手は語っています。
内村選手は、「日体大に入っていなかったら代表になれなかったかもしれない」という程、環境も心構えも変わったそうです。
五輪は北京、ロンドン、リオデジャネイロに出場、合計7つのメダルを獲得。
東京五輪への出場も決まっています。
「自分で決めたことだから」と、血のにじむような努力をし、結果を出してきました。
今ではレジェンドと呼ばれるほどの存在になり、世界一の美しい演技をみせてくれています。
内村航平プロフィール
生年月日: 1989年1月3日
生誕地 :福岡県北九州市
故郷 :長崎県諫早市
身長 :162cm
体重 :55㎏
種目 :男子体操競技
学歴 :みはる台小学校→諫早中学校→東洋高校→日本体育大学
まとめ
今回は「内村航平は高校時代に上京?親を説得して東京で一人暮らし!」といった内容でお伝えしました。
実家が体操教室なので厳しい英才教育を受けてきたと思いましたが、意外にも中学までは楽しく体操していたという内村選手。
そのおかげで体操を続けることができたとも語っています。
トップの選手に追いつきたいという気持ちで、実家から離れて高校から上京。
そこからは命がけで練習を重ね、「圧倒的に美しい演技」を目指しました。
今では誰もが真似できないレベルまで極め、人間業とは思えないと言われる世界一の選手となりました。