NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でヒロインの「駒」を演じた、実力派女優の門脇麦さん。
子供の頃はバレリーナを目指していたそうです。
帰国子女でニューヨークで生まれたそうですが、英語は話せるのでしょうか?
今回は門脇麦さんの経歴や、芸能界に入ったきっかけなどについてお伝えします!
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門脇麦は帰国子女で英語は話せる?
門脇麦さんは1992年8月10日の28歳(2021年1月時点)。
父親の仕事の関係でアメリカのニューヨークで生まれて5歳まで過ごし、その後東京で育っています。
門脇さんは帰国子女ということになりますが、英語は話せるのでしょうか?
2021年2月14日の「おしゃれイズム」に出演した際に、門脇麦さんが「英語は話せない」と答えていました。
アメリカにいる時は英語で会話していたそうですが、その頃のことはあまり覚えていないそうです。
海外でオーディションがあるなど、必要を感じたら英語は勉強しようと思っているそう。
自分のことを「基本的に怠け者体質なので、日々努力するというのが一番苦手」とおっしゃっていました。
一つのことに対して夢中になると極めたいと思うそうなので、必要と感じた時にはストイックに努力されるかもしれませんね。
門脇麦が芸能界に入ったきっかけは?
門脇さんは5歳~15歳ぐらいまでクラシックバレエを習っていて、将来の夢はバレリーナでした。
岸辺光代さんのバレエスクールで、プロを教育するという厳しい環境だったそうです。
負けず嫌いだった門脇さんはプロを目指していたそうですが、コンクールの選抜メンバーに選ばれなかったことにショックを受け、中学2年生の時にバレエを辞めてしまいます。
小さい頃から一緒にやってきた子たちが、有名なコンクールに出て留学したり、海外のバレエ団に入るのを見て限界を感じてしまったそう。
バレエを辞めてしばらくは挫折感がすごかったとのこと。
そこで早く何かになりたい、早く仕事を始めたい、という気持ちが芽生えました。
その時期映画を見るようになって、若い人でも映画で仕事ができるんだ、ということに気づき、芸能界を目指すことに。
芸能事務所へ履歴書を送るには親の同意が必要だったのですが、最初は両親が反対したそうです。
そこで高校3年生の時に「これから何もせずニートになるか、芸能界に入るか、どっちが良いか」と親に究極の選択を迫ったそう。
両親は「そこまで本気だったら、1個だけ事務所受けて、ダメだったらあきらめなさい。」と言ったそうです。
門脇さんは芸能事務所でオーディションを受けて、見事1つ目で合格し、女優の道に進むことになりました。
子供の頃からプロのバレエダンサーを目指し、周りが若いときからプロとなっている姿を見てきた門脇麦さん。
本当は大学に行って、20歳になってから芸能界に入ろうと思っていたそうですが、居ても立ってもいられなくなってしまったそうです。
少しでも早く何かのプロになりたかったことが、女優を目指すきっかけになったようですね。
門脇麦の出身校はどこ?
門脇麦さんは、中学2年でバレエを辞めて、中学3年の時には女優を目指すことに決めています。
当時、中高一貫教育を提供する私立の「桐朋女子中学校」へ通っていましたが、芸能活動が禁止されている学校でした。
そのため、高校から受験して公立の「東京都立狛江高等学校」へ通ったそうです。
その頃まだ両親が女優に賛成してくれず、舞台かミュージカルなら良いと言っていたので、門脇さんは歌や色々なダンスを習っていたそうです。
高校にあまり馴染めず、放課後友達と遊ぶ、ということはしなかったそう。
DVD屋さんに通って「あ」から順番に4,5本借りてきては、引きこもって見ていたそうです。
思春期の女の子って、グループを作ったり、やることが独特じゃないですか。それで、私は完全に人間不信になってしまって、割と他人のことはどうでもいいと思うようになったんです。
引用元:http://www.highflyers.nu/ocu/mugikadowaki/
現在ではすっかりアウトドア派で、海釣りやキノコの鑑賞にハマっているそう。
洋服にお金をかけるより、釣り竿や食べることにお金をかけるそうです。
「おしゃれイズム」の番組内で、キノコや虫について熱く語る門脇麦さんが、とても面白くて可愛らしい印象でした。
まとめ
今回は、個性派女優の門脇麦さんについて、出身校や女優になったきっかけについて調べてみました。
中学時代にバレエで挫折感を味わったことをきっかけに、女優を目指したことが分かりました。
また、アウトドア派で海釣りが趣味というのも以外でしたね!
今後の活躍にも注目していきたいと思います。