全日本女子バレー日本代表の芥川愛加さん。
バレーを始めたのは中学に入ってからだそうです。
そんな芥川愛加選手がわずか数年で、中学の日本代表選手たちと肩を並べられるほどに。
その理由はどこにあったのか、どんな道をたどっていったのか、早速見ていきましょう!
Contents
芥川愛加は中学からバレーをスタート!
中1:初心者でパスが出来ない状態~レギュラーまで
芥川愛加選手は中学からバレーをスタートさせています。
きっかけは、小学校の時にテレビで見た日本代表の試合で、「バレーボールってすごく面白そうだな」と思ったそうです。
中学でバレー部に入ると、ほとんどがバレボール経験者で、芥川選手は「初心者の中でも下手な方だった」と言います。
パスも全然出来なくて、身長が高い(小学6年生で168cm)ことだけが強みだったそう。
そこで、早く皆に追いつきたいという思いから、家に帰って父親とパスの練習をしたそうです。
そうやって練習してきたことで、3年生引退後にレビュラーの機会を得ることに。
「下手なのに1年の頃からレギュラーで試合に出してもらえるようになった」
ただその時はブロックだけ出来る、という感じだったそうです。
芥川選手は「新しいことを始める時ってすごく楽しい」と言います。
皆に追いつきたいという思いで家に帰って練習し、それを楽しんで出来たことで上達。
レギュラーというチャンスを1年生でつかみました。
中2:県の選抜メンバーとなり良い指導者に出会う
中学2年の時には、主将を務めるまでになります。
通常は3年が選ばれるという県の選抜メンバーに、中2の芥川選手が選ばれたそうです。
芥川選手本人は「全然プレーはできていなかったから、身長で選ばれたんだと思う」と言っていますが、レギュラーとして中1から戦ってきたことは大きかったと思います。
県の選抜メンバーに選ばれたことで良い指導者と出会えたことが、芥川選手の中で貴重な経験となったそうです。
熊本県内トップの先生たちに、バレーボールの基礎やブロックのやり方などを教えてもらえた
その時のことを「中学1年生からバレーボールを始めたわりには、早く上達できたんだと思います。」と振り返っています。
選抜チームは、県内でも上位の中学校にいる先輩たちばかりだったそう。
土日は選抜チームで他県へ練習試合に行き、無我夢中でやったそうです。
中3:中学トップ選手たちと日韓戦へ
中学3年生で、日韓交流戦のメンバーに選ばれたそうです。
そこでは、長岡望悠選手や栄絵里香選手という、中学校の日本代表とも言える選手たちと同じチームで戦うチャンスに恵まれます。
色々な仲間に出会え、考え方を知る中で、
「こういう風にやっていたらトップになれるんだ」
と分かったそうです。
そして「いつかはトップになりたい」という気持ちが強くなり、高校はバレーの強豪校である東九州龍谷高校に行くことを決意。
更に、長岡望悠選手や、栄絵里香選手も同じ高校に行くことが分かり、「彼女たちとまた一緒に、3年間バレーボールができると思い、本当にうれしかった」と振り返っています。
今振り返ると、一つ一つが「これがなかったら、こうなれていないよなー」と思うことがあるそうです。
芥川愛加の中学卒業後は?
東九州龍谷高校進学後は、2007年アジアユース選手権優勝、2008年アジアジュニア選手権優勝に貢献。
春高バレー優勝は2回優勝、インターハイ優勝、そして皇后杯全日本バレーボール選手権出場も果たしています。
高校卒業後の2010年には「JTマーヴェラス」に入団し、全日本メンバーに登録されています。
一つ一つの出会いやチャンスを逃さず、努力を重ねてものにしてきた芥川愛加選手。
今では日本を代表するバレー選手になりました。
始めは初心者の中でも下手な方でパスも出来なかったのに、皆に追いつきたいという思いで家に帰って練習。
良い指導者に出会ったことで早く上達でき、トップ選手たちと接する機会を得たことで刺激を受け、道を開いてきました。
芥川愛加プロフィール
生年月日: 1991年4月3日(30歳)
出身地: 熊本県宇土市
身長: 180cm
体重: 60kg
血液型: A型
所属 :JTマーヴェラス
愛称 :アイカ
ポジション: MB
指高 :232cm
利き手 :右
スパイク :303cm
ブロック :290cm
まとめ
今回は、芥川愛加選手の中学時代についてまとめてみました。
中学校からバレーを始め、パスも出来ない状態だったという芥川愛加。
家に帰って練習を重ね、中1でレギュラーとなり、中2で主将に選ばれ県選抜メンバーに。
中3では日本のトップ選手たちと共に戦うまでになりました。
一つ一つのチャンスや出会い、努力が実り、現在では日本女子バレーのトップ選手となりました。
芥川愛加選手の今後の活躍も、応援していきたいと思います!