草野華余子さんは、大ヒットアニメ「鬼滅の刃」の主題歌である「紅蓮華」の作曲を手がけています。
LiSAさん以外にも、多数のアーティストや声優に楽曲や歌詞を提供し、自身もシンガーソングライターとしても活動されています。
今回はそんな草野華余子さんの出身高校や大学、音楽の道で成功した経緯などについてお伝えします!
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草野華余子の高校は帝塚山?
草野華余子さんは大阪府出身の36歳です。
以前は「カヨコ」という名前で活動し、2019年から本名の「草野華余子」に改名しました。
出身高校は公表されていませんが、「帝塚山」という名前で「音楽コース」があることをご本人がツイートしています。
高校時代はピアノがうまい人が山ほどいたそうです。
@masutani_hico 音楽コースある高校だったから死ぬほどピアノうまいやつ山ほどおってわたしは普通にメゾで唄っておりました…
— 草野華余子 (@kayoko225) January 22, 2015
音楽コースがあって帝塚山と名前に入っている高校を調べたところ、大阪府にある「帝塚山学院」という学校がありました。
草野華余子さんはもしかすると、こちらの学校の出身かもしれませんね!
帝塚山学院高等学校 ヴェルジェコース 音楽系専攻
◆クラシック音楽専攻
◆ポリュラー音楽・ミュージカル専攻
草野さんは高校生のとき、全身全霊でビジュアル系の追い掛けをしていたそうです。
高校では美術部に所属していたそう。
高校生の時に油絵で描いたラルクの絵だそうですが、音楽だけではなく絵の才能もあるようですね!
草野華余子は関西大学出身!
草野華余子さんは関西大学の社会学部出身だそうです。
関西大学出身の矢井田瞳さんや、birdなどの有名アーティストの存在に惹かれたそうです。
大学も一緒で、長年の心の友である小南泰葉がステージに戻ってきた。舞台袖で震えながら聴いてた。今日は移動車も楽屋も一緒で、こんな素敵な時間をくれたLiSAちゃんに感謝しかない。めっちゃいい顔で最高の歌うたってたなぁ、泣けた。やじお疲れ様!また一緒にライヴ出来る日を心から願ってるよ。 pic.twitter.com/FEOQoCkuFQ
— 草野華余子 (@kayoko225) April 7, 2018
軽音楽部に入っていたそうですが、そこで出会った個性的な仲間たちにたくさんの刺激を受けたそう。
自分の知らないジャンルの音楽に出会って、音楽の幅がどんどん広がったようです。
また、自分の個性を受け入れてもらって、すごく居心地が良かったと語っています。
大学時代の思い出と言えば軽音楽部だそうで、当時の友人とは今でも連絡をとるほど仲が良いそうです。
初めてライヴしたライヴハウスが失くなってしまう。今わたしが音楽を続けられているのも、関西大学軽音楽部やそこでの出会いや素敵な環境があったから。悲しい https://t.co/woZvOZytGU
— 草野華余子 (@kayoko225) September 17, 2020
大学2年次の時に、先輩であった今西勇仁さんから「君には才能があると思う。絶対にオーディションを受けるべきだ」と言われたそうです。
それからはさらに音楽に夢中になり、在学中の4年間で100曲以上を作曲。
そして「卒業後は音楽で生きていこう」と自然に考えるようになったそうです。
草野華余子は就活せずに音楽で成功!
「紅蓮華」の作曲だけでなく、シンガーソングライターとしても成功している草野華余子さん。
どのようにして成功されたのでしょうか?
草野華余子さんはクラシックに精通した家庭で育ち、5歳の頃に最初の曲を作ったそうです。
子供の頃は内気でアニメが大好きだったそうですが、学校では「アニメオタク」と言われ仲間外れにされたそう。
寂しかったので、家に帰ってから曲を作っていたそうです。
妹に曲を作ってあげたところ、「天才だ!」と言ってくれたのが嬉しくて、それから10年間妹のためだけに曲を書いていたそう。
大学の頃は成人式にも出席せず、着物を買う代わりにMTR(マルチトラック・レコーダーという多重録音機)を買って作曲をし続けました。
先輩からオーディションに出した方が良い、と勧められ「東芝EMI」や「ソニーミュージック」に応募していました。
「私はいつか音楽で飯を食えるんだ」という気持ちがあり、就活はすっぱり辞めたそうです。
卒業後は音楽活動だけでは食べていけないためアルバイトをし、ぎりぎりの毎日だったそう。
27歳の頃にポリープを発症して一時的に声が出なくなり、音楽も辞めようと思っていたそうです。
そんな時アニソン歌手のLiSAさんが楽曲を募集しているという話を聞き、最後のチャンスと思って全身全霊を込めて作曲に臨みました。
そのときに生まれた「DOCTOR」という曲が採用され、そこから作曲家としての仕事が入るようになったそうです。
ガチのアニオタだった草野華余子さんは、元々LiSAさんのファンだったそう。
また、初めての仕事で落ち込む出来事があった時にLiSAさんが優しく接してくれたこともあり「この人のために死ぬまでいい曲を書き続けよう」という気持ちが芽生えたそう。
そんなLiSAさんとの縁もあって、今では色んなアーティストに楽曲を提供する、売れっ子の作詞作曲家となりました。
まとめ
今回はシンガーソングライターで、作詞作曲家である草野華余子さんについて、学歴や成功した経緯などについてお伝えしました。
一時は声も出なくなり音楽を辞めようと思ってたそうですが、そんな時にLiSAさんに曲を採用してもらったことで仕事が入るようになったようですね。
素敵な楽曲を作成してくれる草野華余子さんを、これからも応援したいですね!