浅倉大介は若い頃から天才!高校時代からプロのシンセ開発者だった!

浅倉大介

音に関する感性が人一倍豊かで、天才と言われている浅倉大介さん。

音楽プロデューサーとして有名ですが、若い頃からシンセサイザー開発者としても活躍していました。

また、音楽ユニットaccess(アクセス)のキーボーディストとしても有名です。

今回は浅倉大介さんの若い頃や、デビューのきっかけについてもお伝えします。

浅倉大介プロフィール&若い頃の画像

浅倉大介

生年月日: 1967年11月4日 (年齢 53歳、2021年時点)
出生地: 東京都台東区
学歴:東京都立蔵前工業高等学校
職業:音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、キーボーディスト
担当楽器:シンセサイザー
活動期間:1985年 –
音楽グループ: access、 Iceman、 Mad Soldiers

浅倉大介は音楽に対する感性が人一倍豊かで、「天才」だと言われています。

音楽プロデューサー、作曲家、編曲家として活躍されていて、音に対するこだわりは半端じゃありません!

ご自身でも、1991年の24歳頃、歌手としてソロデビューしています。

浅倉大介

その後1992年に、貴水博之さんとの音楽ユニット「access」のキーボーディストとして活動を始めました。

アクセス

1996年頃には、T.M.Revolutionとして西川貴教さんのプロデュースもされています。

この頃浅倉大介さんは、29歳ぐらいだと思われます。

浅倉大介

2000年には藤井隆さんの「ナンダカンダ」という曲を作曲し、プロデュースもしています。

藤井隆

その他にも多くのアーティストにプロデュースと楽曲提供をしていて、作った曲は750曲以上だそうです。

浅倉大介は高校時代からプロとしてヤマハ勤務!

浅倉大介

デビュー前の高校生時代には、YAMAHA(ヤマハ)の研究所でシンセサイザーのシステム開発に携わっていたそうです。

なぜそんな若い時から働くことになったのでしょうか?

そのきっかけとなったのが、小学校4年生から始めたエレクトーン

エレクトーンの最新技術に魅了され、音楽を作りたいと思っていたそうです。

楽器をやりたいなと思ったときに、いちばん惹かれた楽器がエレクトーンでした。男子って宇宙船のコックピットのようなコントロールパネルがずらっと並んだビジュアルって好きじゃないですか? そのイメージにエレクトーンは近くて、しかも色々な音色をひとりで出せる楽器がエレクトーンだったんです。

引用元:https://www.musicman.co.jp/interview/338050

そのうちシンセサイザーに夢中になり、パソコンとシンセサイザーによって更に可能性が広がることを知り、プログラムまで勉強するようになったそうです。

どんどんその魅力にはまり、シンセの最新機種に触れたいという思いから、高校生の時にYAMAHA(ヤマハ)でアルバイトを始めました。

アルバイトをしているとき、展示されていたシンセサイザーを使って複雑な音をだそうと試したところ、そのシンセでエラーが出ることに気がつきました。

そんなことから、ヤマハの社内では、浅倉大介さんの技術力の凄さが噂になっていたそうです。

「すごい操作をするやつがいる」ということが噂になり、勤務していた東京支店から、ヤマハ本社の静岡県浜松市に、浅倉大介さんの凄さが伝わったそう。

それをきっかけに、「どんなことをしたらエラーがでるのか」というデバック検査をするため、浜松市のヤマハの研究所へ呼ばれるようになりました。

その後はヤマハでプログラムの開発などの仕事もし、システム開発をする傍ら、ゲームミュージックの制作もしていました。

そして当時は、卒業後もヤマハの研究所でシステム開発に従事するだろう、と思っていたようです。

小学4年生からエレクトーンを初め、その後シンセに夢中になり、高校で既にプロとしてヤマハに勤務していたなんてすごいですね!

浅倉大介さんの音に関するこだわりや知識の深さ、そして技術力の高さが噂となって、年齢に関係なく認められたということなのでしょう。

浅倉大介のデビューのきっかけは?

浅倉大介さんはヤマハで仕事をしているとき、小室哲哉さんから「打ち込みの音を生で演奏したい」という相談があったそうです。

そして詳しい浅倉大介さんが推薦されて、シンセサイザーのプログラムをする「マニピュレーター」という仕事をすることになりました。

その頃小室哲哉さんは「TMネットワーク」としてツアーをしていたため、浅倉大介さんはツアーにサポートメンバーとして、同行。

マニピュレーターやキーボーディストとしてサポートすることになりました。

その後、小室哲哉さんから音楽の才能を認められ、「ソロデビューした方がいいよ」と言われたことがきっかけで、TMネットワークのカバーアルバムを作ったそうです。

それが浅倉大介さんのソロデビュー作になりました。

その後は「access」や「Iceman」のユニット活動、「TMレボリューション」などアーティストのプロデュース活動を行っています。

浅倉大介

また、自分のソロ活動も行って、実験的なサウンド作りに励んでいるそうです。

まとめ

今回は浅倉大介さんの若い頃や、デビューのきっかけについてお伝えしました。

音に関する感性が人一倍豊かで、天才と言われている浅倉大介さん。

高校時代からシンセのシステム開発者として働いていたとはすごい方ですね!

またその技術の高さから小室哲哉さんのツアーに参加し、音楽の才能を認められたことがきっかけでエンジニアからアーティストに転身したのには驚きました。

エンジニアとしても音楽家としても才能があって、尊敬してしまいます!